100m走の選手は、スタートして一歩目の位置が決まっているそうです。
そこにできるだけ早く踏み出すかで、その後の展開が有利に進むかが決まります。
思考についても一歩目がとても大切だと思った出来事。
公文いくもん。
新しいこと、難しいことへの挑戦、今までと違うことをするときの話。
息子が珍しくこんなことを言いました。
「オレさ、公文で3学年先(中2の内容)まで、3月までに終わらすんだ!」と。
公文では、3学年先の内容まで辿り着くと「3学年先学習」と呼び、トロフィーがもらえるらしいです。
そのトロフィーがどうしても欲しいらしく。
ちょっとストレッチした目標を持つことは、親としても嬉しい限りです。
僻み根性が身に付く人の思考。
その夜。
ヨメと二人のとき、そのことを軽く話したら「いや、ムリでしょ」とバッサリ斬られました。
・・・おお、ワンダフルな一言。
もちろん、ヨメも心からそう思っている訳ではないし、ボクと二人の会話だったからそう言ったのでしょう。
その言葉の裏には「何とか頑張って欲しい!けど、現実的に考えればちょっと厳しい。だから、支援してあげよう!」という優しいが故の厳しい一言だったはず。
しかし、パッと出てきた思考の一歩目は「そりゃあ、ムリでしょ。」という言葉です。
多くの場合、その”思考の一歩目”を踏み出してしまうと、「だって、あと7ヶ月しかないし。今までのペースじゃ全然間に合わないし。勉強嫌いだし。」とデキナイ理由を考え出すのが自然な流れです。
そして、「どうせムリだし。実力無いし。」と僻み根性が生まれ、できない理由を考え、行動できなくなります。
さらに、いつもそういった思考の一歩目を踏み出すので、その思考が強化されて、常に「どうせ自分なんて」という僻み根性が身についてしまいます。
一歩目の思考とその言葉が大切。
ボクは、息子にこう言いました。
ボク「お、いいね。オマエなら、楽勝だ。」
息子「楽勝?そうかな。。オレ、結構難しいと思うんだけど。(言ったはいいものの、自信なさげ)」
ボク「楽勝でしょ?だって、あと7ヶ月もあるし。」
息子「そっか。ちょっと頑張ればイケるよね。」
この一歩目を踏み出したので、きっと良い感じに取り組むハズです。
しかし、そこでボクが「ホントにできるの?」と聞こうものなら、どうでしょう。
「確かにオレ(息子)は、今までできなかったし、すぐ飽きるし、見直しとか面倒だし。できないよな、やっぱり。」とデキナイ理由を考え始めるでしょう。
今回は「楽勝でしょ?」とボクが言ったもんだから、息子は「楽勝?なんでお父さんは楽勝って考えるんだろう?」と考えました。
その思考の一歩目が、その後の思考や行動を形作ります。
できないと思っていても、無理ヤリに「できる!」と思って口にするが大切ですね。
◆近況報告◆
今日は、いろいろと家のことをやります。
1日1新:11種の青汁
今日も一日、感謝を忘れずに今を楽しみます。