息子の服見て、我がフリ直せ
そもそもの話ですが、知らないことは理解もできず、行動することもできません。
できないことに対しての確認。
自分を棚に上げておきながら、子育てでも、仕事でも「なんで、やらないんだろう?」と思うことがあります。
例えば、脱ぎっぱなしの洋服問題。
ウチの息子は、忘れ物はだいぶ減ったのですが、脱ぎっぱなし、やりっ放し、食べっ放しは健在です。
息子の部屋には、かなりの確立で脱ぎっぱなしの服が散乱しており、それを見たヨメは、、、そりゃあ大変です。
ボクも、そういう脱ぎっぱなしに関しては気になるので注意をするわけです。
しかし、通算100回以上注意していると思いますが、それでも直らないんですね。
「なぜだろう??アホなんだろうか・・・。」と心配になるわけです。
そもそも認識しているか?
で、ここでふと思ったのは、ボクが”ちゃんと言っている”というのが、そもそも間違っているのかも?ということ。
まずは、脱ぎっぱなし問題を、息子は問題として認識しているかどうか?を確認することが大事です。
認識をしていなければ、理解することも、行動することもできませんから。
認識できているならば、やり方がわからないのか?
認識をしていて、やり方もわかるけど、面倒でやらないだけなのかか?
面倒でやらないだけなら、ルールや仕組みをつくればいいわけです。
息子の場合は、片付けする前に他のことが気になってそっちに気が行って忘れてしまうらしく、、、要約すると面倒だからやっていないだけということでしたが。
息子の服見て、我がフリ直せ。
こういったことは、オトナの世界でもあることです。
服を脱ぎっぱなしにするが如く、仕事やコミュニケーションで当たり前と思われていることが抜け落ちる人がいます。
ここで「なんでできなんだ!」と言う前に、そもそもその当たり前を当たり前と認識しているかどうかを確認することが必要です。
ただ、怖いのはオトナだと、それを認識していない人にわざわざ注意をしれくれる人は少ないということ。
脱ぎっぱなしのようなことをする人がいたら、「この人は、理由は何にせよ、脱ぎっぱなしにする人だから、大事なことは頼めない。」と距離を置かれることになります。
なので、そういう人は、気がつくと仕事が回ってこなくなり、「どうして自分に仕事が回ってこないんだ!まわりが悪い!」みたいな方向へと進んでしまったりします。
そもそも認識できていないというのは、怖いものです。
ただ、そうした”当たり前を認識する”いうのは、半自動的にできるわけではありません。
歳をとったり、社会人生活が長くなればなるほど身につくものでもありません。
自らが意識をしていかなければいけないものです。
息子の脱ぎっぱなし、やりっぱなし、食べっぱなしは即刻直させつつも、”息子の服見て、我がフリ直せ”です。
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