地元のオッサンたちを見ていて、シアワセを定義することの大切さを学ぶ。

投稿者: | 2017年9月17日

先日、息子が小学校のときにお世話になったサッカーチームのお父さんたちと飲み会。

そこで、みんなで他愛もない話をしていて思ったこと。

ホントに楽しそう。

とある地元の飲み屋に集まったお父さんたち。

傍から見れば、ただのおっさんの集まりです。

しかし、実は”超”がつくエリートやものすごい役職の方であったりします。

そんなお父さんたちがどうでもよい話をしながら、大きな声で大笑いして、お店から苦情が来るほどの大盛り上がり。

昔からの友達みたいな感じです。

そんな風景を見て。

なんて言うんでしょう。

みなさん、本当にシアワセそう。

どうでもよいことで盛り上がり、どうでもよいことに一生懸命になる。

そして、程よくヌケていて、ツッコミどころが満載。

しかし、締めるところはキッチリと締めている感じです。

自分のシアワセを定義しているか。

シアワセそうに見えるみなさまは、立場的に考えても、ボクには想像できないような苦しみや悩みがあるのでしょう。

しかし、それはそれ。

自分のシアワセというのを定義しているように見えます。

以前、こんなお話を聞いたことがあります。

シアワセになれない人は、自分のシアワセを定義できていない人だ。

うん、確かにその通り。

自分のシアワセが定義できていなければ、何をしても、何を得ても、満足することができません。

それを体現しているかのような地元のオッサンたち。

子どもたちから、どんな大人に見えているかはわかりませんが、自分たちがおもしろいことが大切です。

ということで、来年はオッサンたちで富士山に登ることに。

人生、おもしろいものです。

 

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